2011年8月30日火曜日

Dance With Information

Mixi日記やBlogのカウンターアップ方法を考えてみた。
一言添えるだけで良いんだ。
「オイラの大好きな人をズゥェッテー守るんだ!」
簡単だろ?こんな漫画みたいな一言を残せばウン万ってコメントが貰えるらしいよ。
同じ空の下で繋がってるよって応援されるんらしいんよ。
小生は欲しくないな・・・ブログくらいは単語表記を間違えずに綴りたいし
お空がどうこうコメント貰っても、失笑してしまうに違いない。
繋がってるから何だよ、そもそも繋がってるらしいお前誰だよと思うに違いない。


Mr素敵やん?の会見を見て芸能界とかマスコミって怖いなぁと思った。
多分あれやこれやと信憑性がおざなりの情報が出てくるんだろう。
予想通り芋づる形式の如く芸能界と黒い噂特集!なんて中吊り広告があった。

それを読んだ人はこんなこととかを思うのだろうか

「芸能界はクスリや売春、暴力の巣窟だ!」

実際の目で、事実を確認したわけではないにも関わらず、あたかも真実のように思い込むのだろうか。
それが「本当に」「確実に」正しい情報か判明もしていないまま。


だって公式HPで発表されてるし?

TVで責任者が言ってたことだから?



オフィシャル発の情報が真実とは限らない
どうやら小生ら一般社会で生きる庶民はマスメディアというステージ上で
【情報】というダンスナンバーが流れ始めたならば、とりあえず踊らなくてはいけないらしい。

そして真実を知る人は舞台袖で笑うんだろう。





怖いなぁ・・・・

2011年8月23日火曜日

syrup16gがイヤフォンで歌う

君に言いたいことはあるか?
そしてその根拠とは何だ?
涙流してりゃ悲しいか?
心なんて一生不安さ

この歌詞とメロディを考えた五十嵐さんは、ある種とてつもなく自閉的な思考の持ち主。
今日は生活をずっと聴いてる。

2011年8月21日日曜日

四弦

祖母の家にお盆で帰った時に何かのコンサートで貰った賞状と難しい顔でバイオリンを弾く子供の小生の写真を見つけた。

そう、小生はバイオリンを習っていた。


バイオリンに関しては良い思い出は一切無い。
痛みと劣等感と恐怖しか覚えていない。

そもそもバイオリンをやりたいとさえ思ったことはない。
では何故写真の自分は演奏しているのか。
答えは簡単、親の趣味である。

「バイオリン弾いてみたいよね?」とYESという回答前提に訊かれ、連れて行かれた教室。
ちなみここ↓スズキ・メソード
http://www.suzukimethod.or.jp/

バイオリンという楽器はおろかクラシックにさえ興味がなかった小生には苦痛の時間だった。
毎日義務付けられた練習が嫌だった。
サボろうものなら鉄拳制裁。
定期的に行われる合奏会は親同士自分の作品(子供)の品評会である。
興味が沸かないことに熱心なれる筈も無く、当然門下の中で出来は下から数えた方が早い小生が、気に喰わない両親。


「○○さんの○○ちゃんはもうあんな難しい曲を弾けるのよ!!!」
「何でお前はそんなに駄目なんだ!!!!」


合奏会の後は、ひたすらに不満をぶつけられ、また練習。
「やっと終わった」と漏れた一言を聴かれ、わき腹に蹴りを入れられたこと、息が出来なくなる程の痛みは忘れられない。


「バイオリンを弾きなさい」
親父の同僚や上司が家に来たときは、必ずバイオリンを弾かされた。
演奏のミスがあれば、客の前で恥をかかされたと見なされビンタ。
小生は見世物だったんだろう。

子供の小生は教育という名目の元に生まれる暴力から逃げたいが故にバイオリンを弾いていた。
自分のためでなく、両親のためにバイオリンを弾いていた。
機嫌を取るためにバイオリンを弾いていた。

バイオリンの音が聴こえなくなればいい。
そうすればもうバイオリンを弾かなくてもいいと言われるかもしれない。
大げさでなく鉛筆で鼓膜を突き破ろうとも考えた。

あのキーキー五月蝿いクラシック楽器が小生に与えてくれた充実なんて何一つ無い。
累計数百発の殴打や蹴りなんてなかっただろう。
数百万の金も家に残っただろう。
恐怖と不安で寝付けなかった夜も多くはなかっただろう。


しかし後に小生はベースに出会い、音楽で得られる充実を知ることになる。
そしてそれが今25歳の自分のささやかな楽しみになっている。


皮肉にも同じ四弦を基本とした楽器によって、人生が色づいたのである。














2011年8月13日土曜日

拝啓、山に囲まれた田舎から

現在山梨は下部。
こっちはとても田舎だ。
むせかえるような山の緑、蝉の声、せせらぎ、土と草の匂い。

うだるような暑さ。
実家の愛犬と久々の散歩。




とてつもなく広く感じていた居間。
今じゃ数歩で横断する。

一緒に遊んだあの子も、先日嫁にいったんだとさ。

帰る度に、何かが変わってて、何かに気付く田舎だ。


東京には無い俺の歴史がそこにはあるのかもしれない。


迎え火を焚いて祖父を待つ。

俺、変わらず生きてるよ。
酒も煙草も女も覚えたよ。
一応真面目に働いてるよ。

一通りの報告を済ませて、のんびり酒盛り。

遠くで列車が走ってる。
あの車輪の音は何年立っても変わらない。

たまには田舎もいいもんだ。

2011年8月11日木曜日

こんな過去記事を見つけた。



「8月は16連休」で悲しんでいる人たち

http://www.j-cast.com/kaisha/2011/07/25102362.html



月の半分がお休みとなり、一か月の定額給与が保証される正社員にとっては

なかなかに素敵なお話だろうけども、派遣契約にとっては休暇は時給が発生しないから

今夏の長期休暇は嬉しくないのよね・・・と内容。



つまり何が言いたいかというと【お休みしたら給料減っちゃう!困る!嫌だ!】ということ。



時給なのか月給なのかは契約内容云々で変わるんだろうけど

派遣という立場に給与や雇用の安定感を求めるのがそもそも間違いな気がする。



そんなことを思った。

2011年8月9日火曜日

死ねば誰かが悲しむ。生きれば君自身が悲しむ。

誰かが言った。
お前が無駄に過ごした『今日』は、昨日死んだ人が死ぬほど生きたかった『明日』なんだ


と。


別の誰かが賛同した。
褒め称えた。
奮い立つと涙した。
俺、この言葉が嫌い。
というか明らかに「良いこと言ってます的」言葉は嫌い。

誰かが死ぬほど生きたかった『明日』は
這いつくばって、色んなもん抱えて苦しんで、苦痛に耐えて耐えて耐えて
生きることに疲れた人の『今日』でもある。
そりゃ生きていたいのに死んでしまうなんて不幸だ。
でも死にたいのに生きていることも不幸だと思う。

そもそも無駄に生きた今日って何だろうか。
何したら有意義で、何したら無駄なんだ。

ニートが就職したら、白血病の少女は死ななかったのだろうか。
寝てばかりの休日を止めて本の一冊でも読んだなら、遠い異国の空に降る爆弾は消えるのだろうか。



知り合いの嬢は酒の場でこんな言葉を俺に言ってた。
「もうこんな汚れた身体は嫌、死にたいよ。」

大学時代のバンド仲間は精神的にいよいよ参って死ぬことさえ今後の人生設計に含んでる。

誰が偉そうな顔して人に生きろなんて指図できるんだ。
生き方が選べないなら、死に方は選ばせてあげなよ。

人間、出来るなら幸せに生きたいさ。でも死にたくなる生き物でもあるんだ。
生きたら幸せ、死んだら不幸なんて分かりやすい道徳はもう通用しない時代なんだぜ。