祖母の家にお盆で帰った時に何かのコンサートで貰った賞状と難しい顔でバイオリンを弾く子供の小生の写真を見つけた。
そう、小生はバイオリンを習っていた。
バイオリンに関しては良い思い出は一切無い。
痛みと劣等感と恐怖しか覚えていない。
そもそもバイオリンをやりたいとさえ思ったことはない。
では何故写真の自分は演奏しているのか。
答えは簡単、親の趣味である。
「バイオリン弾いてみたいよね?」とYESという回答前提に訊かれ、連れて行かれた教室。
ちなみここ↓スズキ・メソード
http://www.suzukimethod.or.jp/
バイオリンという楽器はおろかクラシックにさえ興味がなかった小生には苦痛の時間だった。
毎日義務付けられた練習が嫌だった。
サボろうものなら鉄拳制裁。
定期的に行われる合奏会は親同士自分の作品(子供)の品評会である。
興味が沸かないことに熱心なれる筈も無く、当然門下の中で出来は下から数えた方が早い小生が、気に喰わない両親。
「○○さんの○○ちゃんはもうあんな難しい曲を弾けるのよ!!!」
「何でお前はそんなに駄目なんだ!!!!」
合奏会の後は、ひたすらに不満をぶつけられ、また練習。
「やっと終わった」と漏れた一言を聴かれ、わき腹に蹴りを入れられたこと、息が出来なくなる程の痛みは忘れられない。
「バイオリンを弾きなさい」
親父の同僚や上司が家に来たときは、必ずバイオリンを弾かされた。
演奏のミスがあれば、客の前で恥をかかされたと見なされビンタ。
小生は見世物だったんだろう。
子供の小生は教育という名目の元に生まれる暴力から逃げたいが故にバイオリンを弾いていた。
自分のためでなく、両親のためにバイオリンを弾いていた。
機嫌を取るためにバイオリンを弾いていた。
バイオリンの音が聴こえなくなればいい。
そうすればもうバイオリンを弾かなくてもいいと言われるかもしれない。
大げさでなく鉛筆で鼓膜を突き破ろうとも考えた。
あのキーキー五月蝿いクラシック楽器が小生に与えてくれた充実なんて何一つ無い。
累計数百発の殴打や蹴りなんてなかっただろう。
数百万の金も家に残っただろう。
恐怖と不安で寝付けなかった夜も多くはなかっただろう。
しかし後に小生はベースに出会い、音楽で得られる充実を知ることになる。
そしてそれが今25歳の自分のささやかな楽しみになっている。
皮肉にも同じ四弦を基本とした楽器によって、人生が色づいたのである。
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